対馬旅行記|黄金あなご・対州馬・金田城・韓国展望所まで3日間完全レポート

2025年1月、ずっと気になっていた対馬へ3泊4日で行ってきました。朝鮮半島との海峡に浮かぶ国境の島、対馬。韓国・釜山まで約50kmという距離にある長崎県最北端のこの島には、独自の歴史と自然、そして唯一無二のグルメが待ち構えていました。インバウンドの影響で揺れる一面もありますが、それでも対馬にしか感じられない空気があります。この記事では、実際に歩き回った3日間の体験をもとに、対馬の魅力をお伝えします。

  1. 前日:福岡入り
  2. 【1日目】対馬到着〜あなご〜神社〜野生動物〜比田勝
    1. EASアライアンスの小話:ANA窓口でJAL便名、サクララウンジへ
    2. あなご亭:日本一うまいあなご重と、初めての「あなご刺し」
    3. 和多都美神社:海中鳥居と、インバウンドが突きつけた問題
    4. 小坂の藻小屋と小坂展望台:対馬の原風景
    5. 対馬野生生物保護センター:ツシマヤマネコに会いに
    6. 鰐浦(わにうら):国境の歴史が積み重なる最北端の集落
    7. 韓国展望所:釜山は見えず、でも「国境」は感じた
    8. 比田勝チェックイン:オンドル完備の韓国人経営ホテルに驚く
    9. 夕方の散策:日本海海戦記念碑、渚の湯、みなと寿し
  3. 【2日目】対州馬〜万関展望台〜厳原市街地〜金田城〜温泉
    1. 韓国展望所リベンジ:やはり釜山は見えず
    2. 目保呂ダム馬事公園:対州馬に乗る
    3. 万関展望台:対馬の地形美と、島を二つに切った人工水路
      1. 万関瀬戸とは:明治の海軍が島を切り開いた運河
      2. もう一つの瀬戸:江戸時代に対馬藩が掘った大船越瀬戸
    4. 厳原市街地:味処千両で対馬名物を堪能
    5. 対馬博物館:島の歴史を深く知る
    6. 金田城跡:「日本最強の城」が山の中に眠る
      1. 古代から近代まで:国防の最前線であり続けた島
      2. 道中の記録:登山口から山頂へ
      3. 訪問は午前中がおすすめ
    7. 真珠の湯温泉〜浜寿し〜厳原のホテル
  4. 【3日目】旧金石城庭園〜朝鮮通信使歴史館〜厳原港〜西九州新幹線で博多へ
    1. 旧金石城庭園と万松院:城下町・厳原に残る宗氏の面影
      1. 旧金石城庭園:朝鮮通信使を迎えた名勝
      2. 万松院:日本三大墓地に数えられる宗氏の菩提寺
    2. 対馬朝鮮通信使歴史館:国境の島が担った外交の役割
      1. 朝鮮通信使とは何か
      2. 対馬藩が果たした役割:仲介者としての200年
    3. 観光情報館・ふれあい処つしま:最後のお土産タイム
    4. 対馬→長崎→新大村→西九州新幹線→博多
  5. 対馬旅行まとめ:国境の島にしかないものがある
  6. 対馬旅行の基本情報

前日:福岡入り

対馬へはフライトで向かいました。前日は福岡に宿泊してゆっくり準備し、翌日のフライトに備えました。

【1日目】対馬到着〜あなご〜神社〜野生動物〜比田勝

EASアライアンスの小話:ANA窓口でJAL便名、サクララウンジへ

今回の福岡→対馬便は少し変わった経路になりました。実際に飛ぶのはORC(オリエンタルエアブリッジ)という長崎県を拠点とする地域航空会社の機材ですが、JAL便名で購入しています。これは2022年10月に始まった「EASアライアンス(地域航空サービスアライアンス協議会)」によるものです。

EASアライアンスは、ORC・JAC(日本エアコミューター)・AMX(天草エアライン)の九州3社と、JAL・ANAという系列の異なる大手2社が手を組んで設立した異例の枠組みで、離島路線の維持・発展を目的としています。JALとORCがコードシェアを行っているため、JAL便名でORCの対馬便を予約できるというわけです。

チェックインはANAのカウンターで行いました。「ANA窓口でJAL便名のチェックイン」という不思議な状況ですが、これはORCのチェックインをANAカウンターが担当しているためで、さらにコードシェアがJALとの間にも設定されているためです。

手続きが終わった後、JALのステイタス(JAL Global Club)を持っていたため、JALのサクララウンジを使うことができました。

福岡空港のサクララウンジ

ORC便でありながらANAカウンターで手続きし、JALラウンジへ入る——この連鎖がEASアライアンスという仕組みを実感させてくれました。

JAL便名なのにスターアライアンスメンバーのロゴがついた珍しい航空券
ORC運行だがANAの塗装
対馬空港に到着
ターンテーブルはかなり小さい。

あなご亭:日本一うまいあなご重と、初めての「あなご刺し」

対馬空港に到着後、レンタカーを借り、まず向かったのが島中部の豊玉町にある「あなご亭」です。

対馬はあなごの水揚げ量が日本一で、その中でも対馬西沖・韓国との国境付近で獲れるブランドあなごが「黄金(こがね)あなご」と呼ばれています。

太く、脂がのり、通常のあなごとはまったく別物の食材です。あなご亭はこの黄金あなごを専門に扱う料理店として知られており、ミシュランガイド福岡・佐賀・長崎2019特別版にも掲載されています。

注文したのはあなごのせいろ蒸と刺身です。あなごせいろ蒸のあなごはまったく身崩れせず、タレとご飯に絶妙に絡みます。口に入れると消えてしまいそうなほど柔らかいのに、香りと旨みはしっかりと残ります。そして驚いたのが刺身です。あなごを生で食べる機会はほとんどありませんが、プリプリとした食感と磯の甘みが合わさって、これだけで十分な一品になっていました。

せいろ蒸
あなごの刺身

「日本で一番おいしい」と言いたくなるのは大げさではないかもしれません。

ただし注意が必要なのは、非常に人気が高く数量限定という点です。オープン後1時間程度で食材が尽きることもあるため、開店に合わせて訪問するか、事前に予約することを強くおすすめします。

店舗情報
住所長崎県対馬市豊玉町仁位2091-3
電話0920-58-2000
営業時間11:30〜14:00(火〜木曜定休、金〜月営業)/夜は完全予約制

和多都美神社:海中鳥居と、インバウンドが突きつけた問題

あなご亭から車で数分の場所に、対馬を代表する神社のひとつ、和多都美(わたづみ)神社があります。浅茅(あそう)湾の穏やかな岸辺に鎮座する古社で、御祭神は彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)と豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)です。龍宮伝説ゆかりの女神を祀る神聖な場所で、潮の引いた穏やかな朝には水面から姿を現す海中鳥居が幻想的な景色をつくり出します。

ただし、この神社について現在の状況を事前に把握しておくことが不可欠です。インバウンド観光客の一部による迷惑行為が長年にわたって続いたことを受け、2025年3月23日以降、和多都美神社は氏子・崇敬者以外の境内立ち入りを全面的に禁止することを公式SNSで発表しました。写真撮影・動画撮影・ライブ配信も禁止、国内外のバスツアーを含む観光目的の立ち入りも認めないという、非常に厳しい措置となっています。

2025年1月の訪問時点ではまだ制限前でしたが、訪問後にこうした事態に至ったことを知り、複雑な思いになりました。神社は声明の中で「インバウンドが日本人が大切にしてきた場所とモノと人を壊していく様は、日本文化の崩壊にほかなりません」と表明しています。マナーを守ってこそ、文化的な場所は次の世代へと受け継がれます。もし現在の措置が緩和された際には、神様への敬意を持って参拝することを意識していただければと思います。

※観光客の制限措置のため、写真の掲載を控えさせていただきます。

小坂の藻小屋と小坂展望台:対馬の原風景

対馬の北部へ向かう途中、小坂地区に立ち寄りました。ここには「藻小屋」と呼ばれる、海藻を干すための石垣の小屋が点在しています。

かつては農業の肥料として用いる海藻を保管するために使われていた施設で、現在は使われなくなったものも多いですが、石積みの小屋が海岸沿いに並ぶ景色は対馬固有の原風景として残されています。

近くの小坂展望台からはリアス式の海岸線を一望でき、天気の良い日には対馬の複雑な海岸地形が一目で把握できます。観光地として整備された場所ではなく、島の生活の痕跡がそのまま残っているところが魅力です。

対馬野生生物保護センター:ツシマヤマネコに会いに

対馬の最北部エリアにある「対馬野生生物保護センター」(通称:ヤマネコセンター)は、世界でも対馬にしか生息しないツシマヤマネコの保護活動の拠点として環境省が設置した施設です。入館料は無料で、展示室ではツシマヤマネコの生態をジオラマや映像で詳しく学べ、実際に保護されているヤマネコをマジックミラー越しに観察することができます。

iPhoneで撮影した写真では細かな様子まで捉えるのは難しいが、室内にはビデオカメラも設置されており、モニター越しにツシマヤマネコの姿をじっくり観察することができる。

ツシマヤマネコは、約10万年前に大陸から渡ってきたとされるベンガルヤマネコの亜種で、国の天然記念物であり国内希少野生動植物種にも指定されています。最盛期には全島に300頭以上いたとされますが、現在は激減して絶滅が危惧されています。ヤマネコを交通事故から守るための金網が島のいたるところに張り巡らされているのも対馬独特の光景です。スタッフがレクチャーをしてくれ、ツシマヤマネコ広報部長「かなた」くんに会えるかもしれません。運が良ければ給餌やトレーニングの場面も見られます。

施設情報
住所長崎県対馬市上県町佐護西里2956-5(棹崎公園内)
電話0920-84-5577
開館時間10:00〜16:30(最終入館16:00)
休館日毎週月曜・火曜(月曜が祝日の場合は翌火曜)、年末年始
入館料無料

鰐浦(わにうら):国境の歴史が積み重なる最北端の集落

異国の見える丘から少し南下し、対馬最北端の漁港集落・鰐浦(わにうら)に立ち寄りました。小さな集落ですが、ここには対馬の歴史と自然が凝縮されています。

まず目に入るのが、日韓の歴史を伝える「朝鮮国訳官使殉難之碑」です。元禄16年(1703年)旧暦2月5日の朝、朝鮮王朝から対馬藩へ派遣された訳官使(外交交渉を担う使節)の船が、釜山を出発後に急変した天候に巻き込まれ、鰐浦沖で遭難。乗船していた108名全員が命を落とすという悲惨な海難事故でした。碑は日韓双方の官民が協力して平成3年(1991年)に完成し、台座には108個の霊石が積み上げられています。国境を越えた人々の往来がいかに命がけであったか、あらためて考えさせられる場所です。

鰐浦はまた、朝鮮通信使の寄港地としても知られており、日本遺産「江戸時代の日朝交流」を構成する文化財のひとつにもなっています。かつてこの地が、対馬を介した外交・文化交流の玄関口だったことが、集落の静かな佇まいの中に感じられました。

集落沿いに立ち並ぶ「藻小屋(もごや)」の景観も印象的です。海藻の肥料としての利用が盛んだった時代に使われた収納小屋で、石垣とともに並ぶその姿は対馬固有の原風景として今も残されています。

また、鰐浦は5月初旬になると「ヒトツバタゴ」の自生地として知られます。モクセイ科の落葉高木で、日本では中部地方の木曽川流域と対馬にしか自生しない希少植物です。鰐浦はその国内最大の自生地であり、国の天然記念物にも指定されています。開花期には入江を囲む山の斜面に3,000本以上が一斉に白い花を咲かせ、波が穏やかな日には花の白が海面に映り込む幻想的な光景が広がります。地元ではその様子から「ウミテラシ(海照らし)」とも呼ばれています。対馬市の木にも指定されており、大陸に最も近いこの地に、大陸系の植物が自生するという事実そのものが、この島の地理的な特異性を物語っています。1月の訪問時は冬枯れの状態でしたが、ガイドブックで見た開花期の写真に圧倒されました。

集落全体の展望。韓国展望所までの徒歩での道中で見ることができる。

韓国展望所:釜山は見えず、でも「国境」は感じた

鰐浦集落から徒歩で「韓国展望所(ひたかつ韓国展望所)」へ向かいました。対馬最北端の高台に位置し、韓国・釜山市まで約49.5kmという近さを体感できる展望施設です。

展望所の建物自体にも見どころがあります。入口のゲートは韓国・釜山の国際ターミナルの入口をモデルにしており、展望台の建物はソウルのパゴダ公園(탑골공원)にある多目的施設をモデルとして設計されています。施設内の床には対馬周辺の位置関係を示した地図が描かれ、モニターでは上対馬の地理や地域資源を紹介する映像が流れています。無料の望遠鏡も設置されており、晴れた日には釜山のビルや釜山タワーまで識別できるといいます。駐車場・トイレも整備されており、訪れやすい環境です。

しかしこの日は、冬特有のモヤがかかっており、釜山の市街地は確認できませんでした。展望台に立って海を眺めると、水平線の向こうに大陸があるという事実は頭ではわかっていても、視界には果てしなく広がる日本海があるだけ。それでも、眼下に見える航空自衛隊の海栗島(うにしま)レーダー基地の姿が、ここが本当に「国境」なのだという緊張感をリアルに伝えてくれました。

釜山が見えるかどうかは、天候と視界のコンディション次第です。特に秋から冬にかけての晴れた日は視界が通りやすく、見えるときはビルの窓まで確認できるといいます。一方で冬の曇天・モヤがかかった日は期待薄だと正直に申し上げます。翌朝、宿泊先の比田勝から再度リベンジしましたが、やはり結果は同じでした。

所在地長崎県対馬市上対馬町鰐浦入場料無料駐車場あり(無料)トイレありアクセス対馬空港から車で約2時間強/鰐浦集落から徒歩でもアクセス可

比田勝チェックイン:オンドル完備の韓国人経営ホテルに驚く

この日の宿泊は比田勝港近くのホテルでした。チェックインして驚いたのは、オーナーが韓国人だったことです。対馬、特に北部の比田勝エリアは韓国・釜山からのアクセスが非常に良く(フェリーで約1時間30分)、韓国人観光客が多い地域として知られています。その影響でホテルやショップが韓国資本で経営されているケースもあります。部屋にはオンドル(韓国式床暖房)が完備されており、冬の対馬の夜に体を温めてくれました。外国人が経営する宿泊施設が自然に溶け込んでいるのも、国境の島ならではの光景です。

韓国語のキー
オンドルの機械。日本ではなかなか見られない。

ちなみに、近くには「東横INN対馬比田勝」もあります。この東横インは少し変わった外観で知られており、なんと建物の敷地内で馬が飼われているのです。宿泊施設の隣で馬と遭遇するというのは、対馬らしいユニークな光景でした。

手前の柵の中に馬がいることも。訪れた日は夕方だったので厩舎へ帰っていた。

夕方の散策:日本海海戦記念碑、渚の湯、みなと寿し

比田勝エリアには「日本海海戦記念碑」があります。1905年の日露戦争・日本海海戦の舞台となったのがこの対馬海峡で、その歴史を刻む碑が立っています。対馬が日本の安全保障において歴史的に重要な位置を占めてきたことを実感できる場所です。

夜は温泉で旅の疲れを癒しました。訪問したのは「上対馬温泉 渚の湯」です。比田勝港から車で10分ほど、「美しい日本の渚100選」に選ばれた三宇田浜に隣接する施設で、内湯・サウナいずれからも対馬海峡が一望できます。弱アルカリ性単純温泉の湯は、入浴後に肌がしっとりとするほど優しい泉質でした。

住所長崎県対馬市上対馬町西泊1217-8
電話0920-86-4568
営業時間10:00〜21:00(最終受付20:30)
定休日毎週月曜
料金大人600円、70歳以上450円、子供250円

夕食は比田勝港近くの「みなと寿し」へ。対馬の新鮮な地魚を使った握りが揃っていました。港町らしいシンプルな店構えですが、その分、素材の良さがダイレクトに伝わってきました。

【2日目】対州馬〜万関展望台〜厳原市街地〜金田城〜温泉

韓国展望所リベンジ:やはり釜山は見えず

朝、チェックアウトの前に再び韓国展望所へ向かいました。前日よりは空が明るかったものの、釜山の市街地を確認することはできませんでした。釜山が肉眼で見えるのは、湿度が低く視界が安定した晴れた日が条件になります。「見えたらラッキー」くらいの心持ちで訪れることをおすすめします。

なかなか見えない・・・・

目保呂ダム馬事公園:対州馬に乗る

続いて向かったのが対馬北部の上県町にある「目保呂ダム馬事公園」です。ここでは対馬固有の在来馬、対州馬(たいしゅうば)を飼育しており、乗馬体験ができます。

対州馬は日本在来馬8種のうちのひとつで、体高130cm程度の小柄な馬です。急峻な対馬の地形で農耕や荷役に使われてきた歴史があり、蹄鉄を必要としない頑丈な蹄と従順な性格が特徴です。しかし自動車や農業機械の普及によって激減し、明治時代に4,000頭以上いた個体数が現在では全島に約30〜40頭程度しか残っていません。対州馬保存会が中心となって保存活動を続けています。

乗馬体験では、小柄でおとなしい対州馬の背に乗り、スタッフに引き馬をしてもらいました。馬の温もりと、ゆったりとした歩みのリズムが心地よかったです。

乗馬体験は要予約です。

住所長崎県対馬市上県町瀬田
電話0920-85-1113
営業時間午前10:30〜12:00、午後13:00〜16:00
定休日月曜・木曜
料金引き馬(5分)520円、乗馬指導(30分)1,040円 ※要事前予約
入園料無料

万関展望台:対馬の地形美と、島を二つに切った人工水路

対馬の島中部にある万関展望台からは、複雑に入り組んだリアス海岸の地形と、眼下を流れる人工水路「万関瀬戸(まんぜきせと)」を一望できます。青い水面に大小の入り江が交錯する景色は、地図で見ていた対馬の輪郭が実際に眼下に広がる感覚で、圧倒的でした。こうした地形全体を俯瞰して「島全体のスケール」を感じられる場所は意外と少なく、対馬に来たら外せない展望スポットだと思います。

万関瀬戸とは:明治の海軍が島を切り開いた運河

万関瀬戸は、対馬の西側に広がる浅茅湾(あそうわん)と東側の三浦湾(みうらわん)を結ぶ、全長約500mの人工運河です。「瀬戸」という名がついていますが、自然の海峡ではなく、明治33年(1900年)に旧大日本帝国海軍が掘削したものです。

掘削の目的は、浅茅湾内の竹敷要港部(たけしきようこうぶ)から佐世保鎮守府までの艦船の移動時間を短縮することにありました。当時、南下政策を取るロシアとの緊張が高まっており、対馬は国防上の最重要拠点として位置づけられていました。その背景には幕末の1861年(文久元年)、ロシア軍艦ポサドニック号が浅茅湾の芋崎を占拠するという事件が起き、島の戦略的重要性が広く認識されたという経緯もあります。日露戦争が勃発した明治37年(1904年)には、この万関瀬戸を水雷艇部隊が東西両水道へ迅速に展開するための「裏口」として機能させることが想定されていました。

開削当初の幅は約25m、深さ約3mほどでしたが、その後昭和50年(1975年)に幅約40m、深さ4.5mに拡幅され、現在も多くの船舶が通航する「開発保全航路」に指定されています。この万関瀬戸こそが、対馬を地形上「上島(かみしま)」と「下島(しもしま)」に分けている境界線でもあります。運河に架かる赤い万関橋(現在は3代目、1996年架け替え)は展望スポットとしても人気で、橋上から水面までの高さは約25mにもなります。

もう一つの瀬戸:江戸時代に対馬藩が掘った大船越瀬戸

実は対馬には、万関瀬戸よりも約230年前に造られたもう一つの人工運河があります。万関瀬戸から約2km南にある「大船越瀬戸(おおふなこしせと)」です。

大船越瀬戸は、寛文12年(1672年)に対馬藩3代藩主・宗義真(そうよしざね)によって開削されました。朝鮮との外交・貿易を担っていた対馬藩にとって、島の東西を船で素早く行き来できる水路は非常に重要でした。大船越瀬戸の開削はその航路整備の一環であり、朝鮮貿易の好況を背景に行われた大型公共事業のひとつです。この時代、対馬藩はお船江(藩船のドック)の築造や阿須川の開削など、港湾整備に積極的に取り組んでおり、宗義真の治世は「対馬の黄金時代」とも称されています。

また「船越」という地名自体が、運河が開削される以前、この地峡を船を担いで丘越えしていた歴史に由来しています。運河の開通によってその苦労がなくなったわけです。なお、大船越瀬戸は万関瀬戸と比べて幅が狭く浅いため、現在は主に漁港として使われており、大型船舶のほとんどは万関瀬戸を通航します。

展望台から眼下の万関瀬戸を見ながら、江戸時代の対馬藩と明治の海軍、それぞれの時代の「必要」が島の地形を文字通り変えてきたという事実を知ると、この景色の見え方がまるで変わります。対馬はただの絶景スポットではなく、歴史が積み重なった場所なのだと、展望台の風の中で改めて感じました。

万関瀬戸大船越瀬戸
開削年1900年(明治33年)1672年(寛文12年)
開削主体旧大日本帝国海軍対馬藩主・宗義真
目的軍艦・艦艇の東西移動短縮朝鮮貿易の航路整備
全長約500m約200m
現在の利用船舶通航(開発保全航路)主に漁港
架かる橋万関橋(赤い橋、3代目)大船越橋(国道382号)

厳原市街地:味処千両で対馬名物を堪能

対馬の行政・文化の中心地である厳原(いずはら)の市街地へ移動しました。ランチは地元でも長く愛されている「味処千両」へ。

ここでぜひ食べていただきたいのが「とんちゃん」と「いりやき」です。

とんちゃんは、醤油・味噌ベースの甘辛いタレに漬け込んだ豚肉を、キャベツやもやしなどの野菜と一緒に炒めた料理です。戦後間もなく対馬北部で広まり、地元の精肉店が日本人の口に合うようにアレンジして定着しました。B-1グランプリでシルバーグランプリを2度獲得したこともある、対馬を代表するご当地グルメです。

とんちゃん

いりやきは、対馬に古くから伝わる鍋料理で、農林水産省の「うちの郷土料理」にも選ばれています。地鶏や魚(冬はブリやヒラマサが定番)と、ごぼう・しいたけ・こんにゃく・豆腐などをまとめて煮込む醤油ベースのやや甘めの寄せ鍋で、締めにそうめんや対州そばを汁ごとかけて食べます。冠婚葬祭など人が集まる席に欠かせない対馬の「ごちそう」として、長く愛されてきた郷土料理です。

いりやき

千両はメニューの幅が広く、和・洋・中のジャンルを横断しますが、対馬の食材にこだわった地魚料理が随所に光ります。

店舗情報
住所長崎県対馬市厳原町大手橋1079
電話0920-52-4406
ランチ営業11:00〜14:00(LO 13:30)※予約状況により休業あり

対馬博物館:島の歴史を深く知る

厳原市街地にある対馬博物館も訪問しました。2022年4月に開館した対馬全島を網羅する初の本格的な博物館で、自然・歴史・文化を体系的に展示しています。2階には「長崎県対馬歴史研究センター」が併設されており、対馬藩主・宗家の膨大な記録文書「宗家文書」約8万点を収蔵・研究しています。朝鮮通信使との交流、日朝貿易の歴史、対馬藩の歩みなどを実物資料と映像で学べる充実した内容で、対馬が「日本と大陸をつなぐ交流の場」として果たしてきた役割の大きさが伝わってきます。

展示の中でとりわけ印象に残ったのが、国交回復をめぐる宗氏の苦闘を伝える内容です。豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)によって日朝間の国交が完全に断絶した後、対馬藩は藩の存続をかけて国交回復に奔走しました。ところが交渉の過程で朝鮮側から「徳川政権からの国書の提出」を求められ、幕府から正式な国書を得られなかった対馬藩はやむなく国書を偽造して提出。さらに朝鮮からの返書も辻褄が合うよう改竄するという、いわば「国家ぐるみの綱渡り」を続けました。これが後に「柳川一件」(1635年)として発覚し、3代将軍・徳川家光が江戸城で直接裁定を下すという前代未聞の大事件に発展します。結果、藩主・宗義成は無罪、偽造を幕府に密告した家老・柳川調興は津軽への流罪となりました。

現代の感覚では「国書偽造」は重大な不正行為ですが、当時の対馬藩にとっては、島の経済と人々の生活を守るための究極の選択だったのかもしれません。一度こじれた国際関係を修復することがいかに困難で、それを維持するためにどれほどの労力と緊張が伴うか。この展示を通じて、友好関係を絶やさないための地道な努力こそが外交の本質であることを、改めて考えさせられました。

島全体の歴史の流れを把握できるため、対馬旅行の最初に訪れると、その後のスポット巡りへの理解が格段に深まります。金田城跡や鰐浦を訪れる前日、あるいは旅の初日に立ち寄ることをおすすめします。

所在地長崎県対馬市厳原町今屋敷668-2電話0920-52-5100開館時間9:00〜17:00(入館は16:30まで)休館日月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始入館料大人600円、高校生400円、小中学生200円アクセス厳原港から徒歩約15分

金田城跡:「日本最強の城」が山の中に眠る

対馬を語る上で外せない歴史的スポットが、金田城(かなたのき)跡です。正式には「城山(じょうやま)」と地元で呼ばれるこの場所は、標高276mの巨大な岩塊からなる山で、国の特別史跡に指定されています。続日本100名城にも選ばれており、城郭ファンの間では「日本最強の城」のひとつとも称されています。

古代から近代まで:国防の最前線であり続けた島

金田城が築かれたのは天智天皇2年(663年)、白村江(はくそんこう)の戦いで倭国が唐・新羅の連合軍に大敗した直後のことです。敗戦の衝撃を受けた大和朝廷は、大陸からの侵攻に備えて西日本各地に山城を築きますが、その最前線に置かれたのが国境の島・対馬の金田城でした。三方を海に囲まれ、西から北にかけては天然の断崖絶壁というこの地形を最大限に活かし、東国から集められた国境守備兵「防人(さきもり)」たちが、総延長約2.2kmにわたる石塁を人力で積み上げてこの城を守りました。その過酷な任務と故郷への想いは、万葉集の「防人歌」に今も刻まれています。

さらに時代は下り、明治時代になっても対馬は「国防の最前線」であり続けます。日露戦争に備えて旧日本軍は城山に軍道を整備し、山頂付近に砲台を建造しました。古代の朝鮮式山城と明治の近代要塞が同じ山の上に共存しているのが、金田城の最大の特徴です。山頂付近の城山砲台跡では4門の砲座が今も確認でき、朝鮮半島の方角へ向けて据えられていたことがわかります。砲台の北側へ出るとリアス式の入江越しに対馬海峡を一望でき、なぜここが幾度となく国防の要衝とされてきたのかが、景色を通じて実感できます。

道中の記録:登山口から山頂へ

登山口へは車でアクセスします。国道から登山口までの約1.8kmは道幅が非常に狭く、途中から未舗装になります。対向車が来たらほぼすれ違えないので、軽自動車での訪問を強くおすすめします。登山口には5台ほどの駐車スペースがあり、杖とパンフレットが用意されています。

登山道入り口に簡易トイレがある。この先にはないのでトイレはここで済ませた方がよい。

登山道に入ると、最初は比較的なだらかな軍道(旧日本軍が整備した馬車道)が続きます。

10分ほど歩くと視界が開け、眼下に黒瀬湾の入り江が広がります。この最初の絶景でいきなり足を止めてしまいました。

さらに5分ほど進むと、金田城随一の見どころである「東南角石塁」に到着します。うっそうとした森の中に突如として現れる石積みは、まるで小さな万里の長城のようで、1350年以上前にこれを人力で積み上げた労力に言葉を失います。石は城山で採取できる石英斑岩が主に使われており、当時の技術と知恵が凝縮された遺構です。

石塁を過ぎると傾斜がきつくなります。足元には拳大の石がゴロゴロしており、特に雨上がりや落ち葉の季節は滑りやすいので注意が必要です。途中の東屋で一息ついてから、防人の住居跡が発見されたビングシ山へ向かうと、シダに覆われた土塁の跡が続きます。かつてここで暮らしながら海を見張り続けた防人たちの姿を想像すると、単なる山歩きとは違う感覚になります。

山頂直下は急坂になりますが、登り切った先の眺望は苦労を忘れさせてくれます。浅茅湾と対馬海峡が交差する360度の景色が広がり、島全体の地形の複雑さが一望のもとになります。古代から近代まで、なぜこの場所が選ばれ続けたのか、山頂に立つと体で理解できる気がしました。

訪問は午前中がおすすめ

私が訪れたのは午後からで、登り始めた時点ですでに日が傾きはじめていました。往復5km・所要時間2時間半〜3時間のコースであることを考えると、午後からの入山はかなりタイトです。実際、下山途中から薄暗くなり始め、足元が見えにくくなる場面もありました。登山道には街灯はなく、道に迷いやすい箇所もあるため、暗い中での下山は避けるべきです。

金田城跡は、できれば午前中に訪問することを強くおすすめします。午前中であれば光の具合もよく、石塁や入り江の景色が美しく見えます。また、万が一道に迷ったり、足を痛めたりしても、明るいうちに対処できます。午後から予定を組む場合は、遅くとも14時までには登山を開始するようにしてください。

所在地長崎県対馬市美津島町黒瀬城山登山口までのアクセス厳原港から車で約30分/対馬空港から車で約20分駐車場あり(登山口付近、約5台)コース距離往復約5km(登山口〜山頂)標高276m所要時間往復2時間30分〜3時間(休憩・見学含む)入場料無料おすすめ訪問時間午前中(遅くとも14時までに入山)服装・装備トレッキングシューズ必須、動きやすい服装、水・行動食を持参

真珠の湯温泉〜浜寿し〜厳原のホテル

金田城から下山後は、厳原エリアの「真珠の湯温泉」で疲れを癒しました。アルカリ性単純泉の浴場で、夕方から地元の方々でにぎわう日帰り施設です(現在は臨時休業中。料金・営業時間等は事前にご確認ください)。

夕食は地元の寿司店「浜寿し」へ。初日のあなご亭の近くにあり気になったお店です。対馬産の地魚を使った握りは大変おいしかったです。店主の方も大変話しやすく、ウェルカムな府インキでした。

店舗情報
住所長崎県対馬市豊玉町仁位1770
電話0920-58-1392
駐車場6台以上可
定休日不定休

食後、厳原のホテルへチェックインしました。

ホテルの近くは城下町の風情を残す美しい街並みでした。

【3日目】旧金石城庭園〜朝鮮通信使歴史館〜厳原港〜西九州新幹線で博多へ

旧金石城庭園と万松院:城下町・厳原に残る宗氏の面影

最終日の朝は、厳原市街地に残る旧金石城庭園から始めました。宿泊先からも歩いて行ける距離で、朝イチに訪れると観光客がほとんどおらず、静けさの中で石垣と木々を独占できました。

旧金石城庭園:朝鮮通信使を迎えた名勝

金石城は、享禄元年(1528年)に宗氏が築いた金石屋形を起源とし、17世紀後半に対馬藩主の政庁として整備された城郭です。朝鮮通信使を迎えるために近世城郭へと改築されたと言われており、城下町・厳原の中心として機能していました。現在は城郭そのものは残っていませんが、復元された二重の櫓門と、発掘調査で明らかになった庭園遺構が整備・公開されています。

庭園は国の名勝に指定されており、宗家文書『毎日記』によれば元禄3年(1690年)から元禄6年(1693年)にかけて「心字池」の作庭工事が行われたことが記されています。また、文化3年(1806年)に朝鮮通信使を迎えるための城内整備が行われた際の図面にも、この庭園が描かれています。高低差のある池の縁に配置された大小の景石と、水中に没していく玉砂利による洲浜の意匠は対馬東岸の海岸風景を模したものと考えられており、対馬の風土そのものを庭に取り込んだ設計が印象的です。

朝の光の中で見る石垣と池の組み合わせは静かで美しく、島の南の城下町に江戸時代の空気が残っていることを実感しました。厳原の喧騒から少し奥まった場所にあり、出発前の時間に立ち寄るのにちょうどよいスポットです。

施設情報
名称旧金石城庭園
住所長崎県対馬市厳原町今屋敷670-1
営業時間9:00〜17:00
定休日火曜・木曜
入園料高校生以上310円 / 小・中学生110円 / 未就学児無料
電話0920-52-5454
駐車場あり

万松院:日本三大墓地に数えられる宗氏の菩提寺

旧金石城庭園からすぐ裏手にある万松院(ばんしょういん)も、ぜひ合わせて訪れてほしい場所です。元和元年(1615年)、対馬藩2代藩主・宗義成が初代藩主・宗義智の冥福を祈って建立した天台宗の寺院で、以来、宗家累代の菩提寺として厳かに守り続けられてきました。

たびたびの火災で本堂は焼失し、現在の本堂は明治12年(1879年)の再建です。しかし創建当初から残る山門と仁王像は焼失を免れており、安土桃山式の建築様式をそのままとどめる対馬最古の木造建築として貴重な存在です。本堂の堂内には朝鮮国王から贈られた青銅製の三具足(香炉・燭台・花立)と、徳川歴代将軍の位牌が並んでおり、対馬藩が日朝外交において果たした特別な役割を物語っています。

本堂の奥には「百雁木(ひゃくがんぎ)」と呼ばれる132段の石段が続きます。対馬産の石を積んだ緩やかな直線の石段で、両脇には石灯籠が並び、朝の静けさの中で登るとその荘厳な雰囲気に圧倒されます。段差は低く一段一段は歩きやすいのですが、先が見通せるほど真っすぐ続く石段の長さには、登り始めてから「思ったより長い」と感じました。

石段を登りきった先に広がるのが、宗家一族の墓所「御霊屋(おたまや)」です。巨大な五輪塔が石垣に囲まれながら整然と並ぶ様子は、大大名の墓所に匹敵する規模で、金沢の前田藩墓地・萩の毛利藩墓地とともに「日本三大墓地」のひとつに数えられています。

墓所の手前には樹齢約1,200年とされる大杉が3本そびえており、長崎県の天然記念物に指定されています。幹の太さと高さに思わず見上げてしまい、対馬がいかに長い歴史を積み重ねてきた島であるかを、木の存在感からも感じ取ることができました。

施設情報
名称万松院
住所長崎県対馬市厳原町厳原西里192
電話0920-52-0984
拝観時間8:00〜17:00(夏期は18:00まで)
定休日年中無休
拝観料大人300円 / 高校生200円 / 小・中学生100円
駐車場あり(無料・約30台)
アクセス対馬市役所から徒歩約5分

対馬朝鮮通信使歴史館:国境の島が担った外交の役割

続いて「対馬朝鮮通信使歴史館」へ。旧金石城庭園や万松院と同じ厳原市街地のエリアにあり、まとめて訪れることができます。

朝鮮通信使とは何か

朝鮮通信使とは、朝鮮王朝が江戸幕府に派遣した外交使節団のことです。「通信」とは「信(よしみ)を通わす」という意味で、単なる使者の往来ではなく、国交の継続と友好の確認を目的とした外交行為でした。

その背景には、豊臣秀吉による文禄・慶長の役(1592〜1598年)があります。秀吉の朝鮮出兵によって日朝間の国交は完全に断絶しましたが、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、国交回復に向けて対馬藩を仲介役に立て交渉を重ねました。断絶から約10年後の1607年(慶長12年)、ようやく最初の通信使が来日。以降、1811年(文化8年)までの約200年間に12回、使節が日本を訪れました。

一行の規模は毎回400〜500名にのぼりました。正使・副使・従事官という外交の中核を担う高官のほか、儒学者・医師・画家・楽隊・通訳など多彩な人材が選ばれており、行列は江戸時代の日本人にとって異国文化に触れる数少ない機会でもありました。釜山を出発した一行は対馬を経由し、壱岐・下関・瀬戸内海を渡り大坂へ。淀川を遡って京都から江戸へ向かうルートをたどり、往復の全行程には8ヶ月から10ヶ月を要したといいます。江戸城では朝鮮国王からの国書が将軍に奉呈され、数日後に将軍からの返書と礼物が贈られました。

そして最後の通信使となった1811年の第12回は、江戸ではなく対馬で国書の交換が行われています(易地聘礼)。この事実は、対馬が単なる通過地点ではなく、日朝外交の実質的な舞台でもあったことを物語っています。

対馬藩が果たした役割:仲介者としての200年

この長大な外交を裏方として支え続けたのが対馬藩でした。新将軍が就任すると、対馬藩はまず朝鮮へ使者を送って知らせ、次に通信使の派遣を要請する。対馬で使節団を迎えてからは、江戸までの往復の道のりを警護・案内し、接待の一切を取り仕切りました。その実務負担は膨大で、藩財政の相当部分が朝鮮外交に充てられていたとも言われています。

対馬藩がそこまでして朝鮮外交に尽力した理由のひとつは、島の地理的条件にあります。山がちで耕作地に乏しい対馬は、藩の財政を朝鮮との貿易に依存せざるを得ない状況にありました。釜山の倭館(草梁倭館)は長崎・出島の約25倍の広さを誇り、対馬藩から派遣された館守をはじめ常時400〜500名が滞在して外交・貿易を担っていたといいます。外交の継続は藩の存続と直結していたのです。

こうした外交の現場で活躍した人物として、対馬藩に仕えた儒学者・雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)が挙げられます。芳洲は朝鮮語を習得するために釜山の倭館へ留学し、後に朝鮮語通訳養成所を開設するなど外交人材の育成にも取り組みました。芳洲が提唱した外交方針が「誠信の交隣」、すなわち「互いに欺かず、争わず、真実をもっての交わり」という理念です。対等な関係に基づく外交を重んじたその姿勢は、200年に及ぶ平和的交流の基礎を支えたと言われています。

朝鮮通信使に関する日韓双方の資料は、2017年にユネスコ「世界の記憶」に登録されています。これだけの歴史が、博多からフェリーで数時間の距離にある小さな島に凝縮されているという事実は、対馬に来て初めて実感できるものだと思います。

歴史館の展示では、通信使の行列を描いた絵巻や当時の外交文書、宗家文書などの史料が丁寧に解説されています。難しい外交史の話も、実物資料と合わせると格段にわかりやすく、「国境の島」が単なる地理的概念ではなく、実際に異文化の接点として機能してきた史実が静かに伝わってきます。

通信使の行列を再現した模型

ちなみに、歴史館の中は基本的に写真撮影は禁止ですが、上記の模型のみ撮影が許可されています。

施設情報
名称対馬朝鮮通信使歴史館
住所長崎県対馬市厳原町今屋敷672-1
電話0920-53-1910
開館時間9:00〜17:00(最終入館16:30)
休館日月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始
入館料一般300円 / 小・中学生150円
駐車場あり
特徴江戸時代の日朝交流の象徴「朝鮮通信使」に関する資料を展示する歴史施設

観光情報館・ふれあい処つしま:最後のお土産タイム

厳原港ターミナルからほど近い「観光情報館・ふれあい処つしま」で、旅の締めくくりにお土産を物色しました。対馬藩の家老・古川家の長屋門を再現した和風建築が目を引く施設で、観光案内所・特産品売り場・食事処・バスターミナルが一体になっており、島内観光の起点としても機能しています。

特産品の間には対馬らしい品が一通り揃っています。対州そば、ニホンミツバチの希少な蜂蜜、黄金あなごの加工品、ツシマヤマネコグッズなど、ここに来れば対馬みやげはほぼ揃うと思っていいでしょう。

今回買ってよかったのが、対馬産の藻塩「浜御塩えこそると」と、対馬限定のあなご味めんべいの2点です。

浜御塩えこそるとは、壱岐対馬国定公園の海岸から汲み上げた海水を濃縮し、国産海藻(アラメ・ホンダワラ)のエキスを加えて平釜でじっくり煮詰めた藻塩です。塩職人が手作業で結晶化させるサラサラタイプで、まろやかなうまみが特徴。実はこの塩、全国チェーンのはま寿司(ゼンショーグループ)に採用されているもので、炙り系のネタに合わせる卓上の藻塩として全国の店舗で使われています。対馬に来るまで「はま寿司の塩」の産地を気にしたことすらなかったのですが、それが国境の島・対馬産だったと知って、思わず手に取りました。

あなご味めんべいは、福岡の定番土産「めんべい」の対馬限定フレーバーです。対馬名産の黄金あなごを使ったせんべいで、めんべい特有のピリ辛感とあなごの風味が合わさった一枚。対馬でしか買えない限定品なので、めんべいを知っている方へのお土産に喜ばれると思います。

施設情報
所在地長崎県対馬市厳原町今屋敷672-1
電話0920-52-1566
特産品の間9:00〜18:00
観光案内所8:45〜17:30
休業日年末年始(12/29〜1/3)
アクセス厳原港から徒歩約5分

対馬→長崎→新大村→西九州新幹線→博多

帰りも空路を選びましたが、往路とは異なるルートにしました。対馬空港からORC便で長崎空港へ飛び、長崎から西九州新幹線「かもめ」に乗るためです。

長崎空港は世界初の海上空港

2022年に部分開業した西九州新幹線はずっと乗ってみたかった路線で、今回の旅でようやく実現しました。

長崎空港の最寄り駅・新大村駅まで移動し、西九州新幹線に乗車しました。武雄温泉駅まで走り、そこからは特急「リレーかもめ」に乗り換えて博多駅へ。新幹線区間は短いですが、流線型の車体と洗練された車内は、旅の締めくくりとして清々しかったです。対馬という「日本の果て」から、新幹線という「現代の移動」へのギャップが、旅の余韻をより深くしてくれた気がしました。

対馬旅行まとめ:国境の島にしかないものがある

対馬は、「辺境の離島」という言葉がまったくそぐわない、密度の高い島でした。黄金あなごをはじめとする唯一無二のグルメ、ツシマヤマネコや対州馬という希少な野生動物、金田城や和多都美神社に代表される深い歴史、そして韓国との距離がもたらすユニークな文化的接触——どれをとっても、他の場所では体験できないものです。

一方で、和多都美神社の問題に象徴されるように、インバウンド観光のあり方が問われる場面も目の当たりにしました。対馬を訪れる旅行者として、この島が持つ文化と自然を次の世代に残すための「訪れ方」を意識することが、今こそ大切だと感じています。

観光シーズンを外した1月の訪問は、観光客が少なく島のリアルな空気を感じやすかったです。レンタカーは必須ですが、それさえあれば南北に細長い島のほぼ全域を2〜3日で回ることができます。九州をベースに離島の旅を考えているなら、対馬は間違いなくおすすめの島です。

対馬旅行の基本情報

項目内容
アクセス(空路)福岡→対馬(約35分)、長崎→対馬(約35分)。ORC運航便。JAL・ANA便名でも予約可(EASアライアンス)
アクセス(海路)博多港〜厳原港(約5時間30分)、博多港〜比田勝港(約3時間)。韓国・釜山〜比田勝港のフェリーも運航
移動手段レンタカー必須(島内はバスが少なく、観光地間の距離が長い)
おすすめ時期通年。冬(1月前後)は観光客が少なく穴場。夏は海が美しい
宿泊エリア厳原(南部の中心地)または比田勝(北部の玄関口)

地理や旅行が大好きな一般人。東京出身ですが、四国、九州など転々と移住し、今は北陸に住んでいます。学生時代に47都道府県を自転車で制覇。国内旅行業務取扱管理者の資格あり。JGC取得済み。

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