旅程ダイジェスト
| 日程 | 主な行程 |
|---|---|
| 1日目 | 関空→深圳経由(深圳航空)→ハノイ・ノイバイ国際空港着、Grabでホテルへ |
| 2日目 | ハロン湾1日クルーズ(洞窟・ティートップ島・カヌー)→フォー→Aroi Dessert Cafeでエッグコーヒー |
| 3日目 | ハノイ市内観光(ホーチミン廟周辺・バインミー25・タンロン城・ブンチャーフォンリエン・ロンビエン橋・玉山祠・タンロン水上人形劇・クワンアンゴン)→ベトジェット航空で関空へ帰国 |
はじめに
7月、3日間でベトナムのハノイとハロン湾に行ってきました。
「3日じゃ少なくない?」と思われるかもしれませんが、ハロン湾クルーズに1日、ハノイ市内観光に1日使えば、見たいものはひととおり回れます。移動の疲労も少なく、ちょうどいいボリュームでした。
それ以上に驚いたのが、ハノイという街の「重さ」です。フランスが建てた橋、ソ連の宇宙飛行士が名を残す島、オバマ元大統領が食べた食堂、王朝遺跡の地下に眠る戦争の指揮室。観光スポットをひとつ訪れるたびに、ベトナムがたどってきた国際関係の歴史がじわじわ見えてきました。
この記事では旅の体験談と一緒に、各スポットの歴史的な背景も解説します。出発はベトジェット航空の時間変更ドタバタから始まりましたが、そこからお付き合いください。
出発前のトラブル——ベトジェット航空の時間変更に気づかなかった
7月にハノイへ行ってきました。当初は関空からハノイまでベトジェット航空を利用する予定でしたが、出発当日に大変なことに気づきました。フライトの出発時刻が変更されていたのです。
今回の航空券はBooking.com経由で予約していました。ところがフライトの時間変更はBooking.com側には通知されず、ベトジェット航空から直接届いた通知はベトナム語のメール1通とベトナムの電話番号からの着信のみ。どちらも気づかないまま当日を迎えてしまいました。空港に向かいながらアプリを確認して初めて事態を把握した瞬間の焦りは、今でも鮮明に覚えています。
なお、今回トリップドットコムで手配した深圳航空便では、10分程度のフライト変更があった際もすぐに通知が届きました。Booking.com経由では変更通知が来なかったことと比べると、航空券の予約にはトリップドットコムのほうが安心だと感じました。
帰国後に調べてみると、トリップドットコムは外資系の旅行サイトとしては珍しく、観光庁長官登録の第一種旅行業者(登録番号2080)として日本の旅行業法に基づく登録を取得しており、日本旅行業協会(JATA)にも加盟しています。何かトラブルがあった際に法的な保護を受けやすい点で、登録のない海外OTAよりも安心感があります。
ベトジェット航空を利用される方は、出発前日に必ずアプリで最新のフライト情報を確認してください。時間変更の通知が日本語・英語で届かないケースがあります。なお、行きの便に乗れなかったからといって帰りの予約が自動的にキャンセルされるわけではなく、帰りは問題なく搭乗できましたが、条件はチケットの種類によって異なるため、事前にエアラインに確認することをお勧めします。






1日目:深圳経由でハノイへ


深圳宝安国際空港は広くて清潔で、乗り継ぎ時間も余裕がありました。深圳自体が近年急成長を遂げている都市で、空港内の施設の充実ぶりに中国の変化を感じました。ただし、ひとつ困ったのがWi-Fiです。深圳空港の無料Wi-Fiに接続するには、パスポートをスキャンする専用機械を使った本人認証が必要で、これがうまくできませんでした。仮に接続できても、中国ではGoogleやLINE、InstagramなどがGFW(グレートファイアウォール)によってブロックされており、日本と同じようには使えません。空港内ではVPNも制限されているため、乗り継ぎ時間中はほぼオフラインで過ごすことになりました。事前にポケットWi-Fiを借りていくか、スマホのSIMをそもそも中国対応のものにしておくのが安心です。乗り継ぎ時間を利用して空港内の食堂で食事をとりました。肉団子スープや牛肉スープなど、中国らしい軽食が揃っており、深夜のフライトを前にちょうどよい腹ごしらえになりました。その後、ハノイ行きの深夜便(ZH9087)に搭乗しました。



ハノイのノイバイ国際空港に到着したのは夜でした。空港からホテルまではGrabを利用しました。Grabはベトナムで広く普及している配車アプリで、乗車前に料金が確定するため、言葉の壁も料金交渉も不要です。初めてのハノイでも安心して使えますし、価格も流しのタクシーより安い場合がほとんどです。
なお、Grabのアカウント登録には電話番号によるSMS認証が必要です。クレジットカードの登録まで含めて、日本を出発する前に済ませておくことを強くおすすめします。現地到着後にインターネット環境が整っていない状態で設定しようとすると手間がかかるためです。アプリで目的地を入力してドライバーを呼ぶだけなので、事前準備さえしておけば非常に便利です。
宿泊ホテル:メルキュール ハノイ ラ ギャール
今回宿泊したのはメルキュール ハノイ ラ ギャール(Mercure Hanoi La Gare)です。1泊2人で約2万円と、立地・設備を考えるとかなりコスパの高いホテルでした。
ハノイ駅の真正面に位置しており、フレンチクォーターと旧市街のちょうど中間にあるため、観光の拠点として非常に使いやすい場所です。部屋は広くて清潔感があり、ベッドも快適で、長距離移動の疲れをしっかり回復できました。朝食はレストラン「Brasserie Le Pavillon」で提供されており、フィットネスセンターも24時間利用できるようです。

| 住所 | 94 Ly Thuong Kiet, Cua Nam, Hoàn Kiếm, Hà Nội |
|---|---|
| 電話 | +84 24 3944 7766 |
| チェックイン | 14:00 |
| チェックアウト | 12:00 |
2日目:ハロン湾クルーズ——ソ連の宇宙飛行士が名を残す島
ハロン湾とは
ハロン湾はハノイから東へ約170km、バスで約3時間の場所にある世界遺産です。ベトナム北部のトンキン湾に石灰岩の奇岩・奇島が約1600島点在する風景は、写真で見るより実物のほうがずっとスケールが大きく感じます。
この奇岩の林を生み出したのは、カルスト地形と呼ばれる石灰岩の溶食作用です。今から約3億年前(古生代)に堆積した分厚い石灰岩の層が、長い年月をかけて雨水や地下水に侵食されて塔状の岩山が形成され、その後の地殻変動と海面上昇によって海に水没し、現在の「海に浮かぶ岩山」の景観が生まれました。このカルスト地形は中国内陸部まで地続きに広がっており、中国・広西チワン族自治区にある桂林の山水風景も、同じ石灰岩地帯が陸上で侵食されたものです。「桂林山水甲天下(桂林の山水は天下一)」という言葉があるように、桂林は古来より文人・画家を魅了し、中国水墨山水画の定番モチーフとして描かれ続けてきました。ハロン湾はそのカルスト地形が海に沈んだ姿——桂林の山水が水没して島になった、と考えると、この景観の来歴がいっそう味わい深く感じられます。
「ハロン」はベトナム語の発音ですが、もとは漢字由来の語彙(漢越語)です。ベトナムはかつて約1000年にわたって中国の支配下に置かれ(紀元前111年〜939年)、その後も独立国として漢字文化圏に属し続けました。公文書や文学には漢字が使われ、さらに漢字の形を借りてベトナム語の音を表す独自文字「チュノム(字喃)」も生まれました。このチュノム文化は、フランスの植民地化によってラテン文字表記の現代ベトナム語(クオックグー)が普及するまで続きました。「ハロン湾」という地名そのものが、ベトナムと中国漢字文化の長い結びつきを今に伝えています。
「ロン(Long)=龍」はベトナムの地名に広く使われています。翌日訪れたハノイの旧称「タンロン(Thăng Long)」は「昇龍」、つまり「龍が昇る場所」という意味です。「龍が降りた」ハロン(下龍)に対し、ハノイは「龍が昇る」——対になった命名が面白いところです。また、メコン川がベトナム南部で9つに枝分かれして海へ注ぐデルタ地帯は、ベトナム語で「クーロン(Cửu Long)=九龍」と呼ばれます。「九龍」という漢字は香港の九龍(Kowloon)と同じで、日本では九龍城砦としてなじみがある方も多いと思います。香港の「九龍」という地名には、南宋の皇帝が追われてこの地に逃れた際、周囲の8つの山を「八龍」と呼んだのが始まりで、皇帝自身も龍の化身とされることから一つ加えて「九龍」になったという伝説があります。ベトナム語と広東語で発音は異なりますが、漢字文化圏で共有された「龍」のイメージが地名の根底にあるのは変わりません。
ハロン湾ツアーの流れ
2日目は終日、ハロン湾の日帰りクルーズツアーに参加しました。今回利用したのはKKdayの「FUJIクルーズ」6時間コース(日本語ガイド付き・催行保証)です。朝8時にホテルをピックアップしてもらい、リムジンバスで高速道路を使ってハロン湾へ向かいます。ハノイからの移動は片道約3時間半です。
行きのお土産屋さん休憩
ハロン湾へ向かう途中、お土産屋さんへの立ち寄りがあります。品揃えは充実していますが全体的に価格は高めで、ここでの購入はあまりおすすめしません。ただし、ここで売っているバインミーは現地でも有名らしく、周りの観光客のほとんどが手に取っていました。具材を自分で選べるスタイルで、私はチキンメインにしました。フランスパンですが硬すぎず食べやすく、鶏肉のうまみとパクチーの風味がしっかり効いていておいしかったです。店内に座って食べられます。パクチーが苦手な方は具材を選ぶ際に外すこともできるので、安心してください。

乗船・昼食
ハノイからハロン湾へ向かう道中、ベトナム北部最大の港湾都市・ハイフォン(Hải Phòng)を通り抜けます。バスの車窓からコンテナが積み上げられた港湾エリアが見え、ベトナム全国でもホーチミン市港に次ぐ貨物取扱量を誇る北部最大の港として、現在も活発に機能していることが伝わってきました。

バスが港に近づくにつれ、窓の外に石灰岩の島々が少しずつ姿を現してきました。写真で何度も見た光景が目の前に広がり、いよいよ来たという気持ちになります。
港に着くとバスを降り、待合施設の中を歩いて船着場へ向かいます。桟橋には大小さまざまなクルーズ船がひしめくように停泊していて、その活気に少し圧倒されました。添乗員についていく形でFUJIクルーズの船に乗り込みます。



出港してしばらくすると昼食の時間になりました。同じテーブルの参加者で大皿をシェアするスタイルで、アサリのスープ・レモングラスと生姜の蒸しえび・揚げ春巻き・イカフライ・イカのさつま揚げ・フライ鯛のトマトソースがけ・チキンと野菜の炒めもの・青い大豆のおこわ・季節の野菜炒め・白いご飯・フルーツのデザートなど、全12品が次々と並びます。メニューには「おいしい食べ方」として、イカのさつま揚げをおこわにのせて醤油をかける食べ方や、フライ鯛をご飯にのせてトマトソースをかける食べ方が紹介されていました。初対面の方とのシェアなので最初は少し遠慮しがちですが、量がかなり多く結局残るので、普通に食べて大丈夫です。参加者はほぼ全員日本人なので、テーブルで話しかけやすい雰囲気でした。飲み物は別料金です。






スンソット洞窟(Hang Sửng Sốt)
昼食後、最初の寄港地はスンソット洞窟です。「スンソット(Sửng Sốt)」はベトナム語で「驚き」を意味します。1901年にフランスの探検隊がこの洞窟を発見した際、あまりの広大さに言葉を失い、フランス語で「驚きの洞窟(Grotte de la surprise)」と名付けたのが始まりで、ベトナム語でも同じ意味の名が受け継がれています。その名の通り、内部の規模には圧倒されます。2億年以上前の石灰岩が長い年月をかけて形成した巨大な空間に、LEDライトで色とりどりに照らされた鍾乳石が天井を埋め尽くしています。歩きながら何度も足を止め、これが自然にできたものかと思わずにはいられませんでした。洞窟内はひんやりとしており、炎天下から一歩踏み込んだ瞬間、体が一気に楽になります。

島に着岸する際、ちょっとした洗礼がありました。複数の観光船が同時に接岸しようとして、隣の船との間で押し合いが発生したのです。船体同士がぶつかる衝撃でガラスが割れることもあるらしく、添乗員からもガラスから離れるよう声がかかりました。乗客同士も互いに押しのけ合う場面があり、最初は面食らいましたが、これは文化の違いと受け取るしかありません。日本の観光地では見かけない光景ですが、事前に知っておくと慌てずに済みます。

入場前には行列ができており、炎天下の中20〜30分ほど待ちます。日差しが強く想像以上に暑いので、ハンディ扇風機があると重宝します。洞窟内の滞在は約30分ほどです。









ティートップ島——ソ連の宇宙飛行士が名を残す展望台へ


次に向かったのがティートップ島(Đảo Ti Tốp)です。船を降りると売店があり、目の前には砂浜が広がっています。海に入って泳ぐことも可能で、ビーチでくつろぐ人もいました。砂浜の奥から展望台へと続く階段が始まります。
頂上までは約400段。炎天下でなかなかきつく、同じツアーの参加者の中にも途中で引き返したり、最初から上らない方もいました。ただ、息を切らして登りきった先には360度のパノラマが広がっており、石灰岩の島々がどこまでも続くハロン湾の全景を見渡せます。体力に余裕があればぜひ上ることをおすすめします。展望台からの眺めは、ハロン湾クルーズの中でもとりわけ印象に残っています。

この島の名前には、冷戦時代のある場面が刻まれています。1962年、ホー・チ・ミン主席がソビエト連邦の宇宙飛行士ゲルマン・チトフ(Gherman Titov)をこの島に招待しました。チトフはユーリ・ガガーリンに続いて世界で2番目に宇宙へ行った人物で、当時は世界中の注目を集めていた英雄です。「チトフ」のベトナム語読みが「ティートップ」となりそのまま島の名前になりました。命名は当時のベトナムとソ連の友好関係を象徴しており、ベトナム戦争でもソ連は北ベトナム側へ武器・物資を援助していました。ハロン湾の絶景の中に、冷戦の歴史がひっそりと埋め込まれているわけです。

カヌー体験
ティートップ島を後にし、船でカヌーのエリアへ移動します。1グループにつき1艘のカヌーが割り当てられ、現地のカヌーに乗り換えます。洞窟状の岩をくぐり抜けながら小さな入り江へ漕ぎ込んでいきます。頭すれすれまで岩が迫る通路を抜けると、ひらけた穏やかな空間が現れます。くぐり抜ける感覚が面白く、人は多いながらも独特の体験ができます。




服は濡れることがほぼ確実です。濡れてもよい服装で参加し、スマートフォンは防水ケースに入れておくことをおすすめします。「水に濡れるのは嫌」という方はカヌーを断って船で待つこともできるので、無理をする必要はありません。
帰船後のひととき
カヌーを終えて船に戻ると、船員からフルーツの盛り合わせがふるまわれました。ハロン湾の景色を眺めながら食べるスイカやパイナップルは、暑い中動き回ったあとの体に染み渡ります。また、希望すれば操縦席を見学させてもらえるほか、船内ではカラオケも楽しめます。ツアーの参加者が思い思いに過ごす、パーティーのような雰囲気の時間でした。



帰路と市内送迎
帰路のバスでは、ツアーガイドがいろいろな話をしてくれました。南沙諸島をめぐる中国との領土問題や、ベトナムにとって中国という隣国との関係がいかに複雑かという話は、現地の人の口から聞くと一段と重みがありました。また、ひと昔前はベトナムを訪れる日本人旅行者が非常に多かったが最近は減ってきており、日本の経済状況の変化と無関係ではないという話も出ました。嫌味な感じではまったくなく、むしろ「日本にはまた元気になってほしい」というエールに近いニュアンスで話してくれたのが印象に残っています。
ハロン湾からハノイへ戻る途中、フォーのお店に立ち寄りました。あっさりとしたスープで体に染み渡る味でしたが、量は控えめで少し物足りなく、ホテルへ戻ってから改めて食事に出かけました。


このツアーはハノイ市内の好きな場所で降ろしてもらえます。バスの窓からハノイ市内を眺めると、イオンをはじめとした日系の店舗の看板が目に入りました。ハノイ市内にはイオンが複数店舗を展開しており、街の風景からも日越関係の深さが伝わってきます。
エッグコーヒー、ナイトマーケット、そしてフォー
ツアーバスを降りてまず向かったのが、Aroi Dessert Cafe(アーロイ・デザート・カフェ)です。ハノイ名物のエッグコーヒーを初体験しました。コーヒーの上に卵黄を泡立てたクリームが乗っており、見た目はデザートそのものです。飲んでみると、コーヒーの苦みと卵の濃厚な甘みが絡み合って、ハノイでしか飲めない味でした。翌日も飲みたくなります。


| 住所 | 9 Tống Duy Tân, Hoàn Kiếm, Hà Nội |
|---|---|
| 営業時間 | 24時間 |
| 電話 | +84 36 944 0260 |
エッグコーヒーのあとは、旧市街のナイトマーケットをぶらぶらと歩きました。露店に雑貨や衣類が並び、値段も手ごろです。観光客だけでなく地元の人たちも多く、ハノイの夜の空気をそのまま感じながら歩ける時間でした。
そして夕食はPhở Ông Vui(フォー・オン・ヴイ)へ。旧市街のハンザイ通りにある小さなローカル食堂で、派手な看板も英語のメニューもなく、観光地化されていない素のフォー屋さんという雰囲気です。牛肉フォー一択というシンプルなスタイルで、透き通ったスープはあっさりとしながらも深みがあり、丸一日動き回ったあとの体にじんわりと染み渡りました。深夜1時近くまで営業しているので、夜遅くなっても立ち寄れるのがありがたいです。私たちが訪れたのも23時半ごろでしたが、問題なく入れました。

| 住所 | 25 P. Hàng Giầy, Hàng Buồm, Hoàn Kiếm, Hà Nội |
|---|---|
| 営業時間 | 6:00〜14:00 / 16:00〜翌1:00 |
| 電話 | +84 91 659 6126 |
3日目:ハノイ市内をまるごと歩く
3日目は、ハノイ市内を一日かけて歩き回りました。訪れたスポットの数はかなりのもので、体力的にはタフな一日でしたが、それぞれの場所の歴史的な背景を知ってから訪れると、見え方がまったく変わります。
ハノイ駅とバーディン広場——ホーチミン廟・ホーチミンの家・博物館・一柱寺
まずハノイ駅に立ち寄りました。フランス植民地時代の1902年に建設された歴史ある駅ですが、ベトナム戦争中の1972年にアメリカ軍の爆撃を受けて大きな被害を受け、戦後にソ連式の建築様式で再建されました。フランスが建て、アメリカが壊し、ソ連様式で復元された——この一棟の建物だけで、ベトナムと列強の関係史が凝縮されています。現在はここを起点にベトナム縦断鉄道「統一鉄道」が走っています。ハノイ〜ホーチミン市間の距離は約1700kmで、所要時間は30〜37時間。特急のSE1号ならハノイを夜22時20分に出発し、翌々朝5時45分にホーチミン市に到着します。




ベトナムの線路幅(軌間)は1000mm(メーターゲージ)で、日本の新幹線(1435mm)や在来線(1067mm)より狭く、車窓から線路を眺めると細さが実感できます。なお、ハノイ〜ホーチミン市間を結ぶ南北高速鉄道の建設計画が2024年にベトナム国会で可決されており、設計速度は時速350km、2027年着工・2035年完成を目指しています。ベトナム政府は日本に技術支援・資金協力を要請しており、日本政府も前向きな姿勢を示しています。
その後バーディン広場エリアへ向かいました。このエリアはベトナム現代史の「聖地」とも呼べる場所が集まっています。

ホーチミン廟
ホー・チ・ミン(1890〜1969年)は、1930年に香港でベトナム共産党(後のインドシナ共産党)を創設し、フランス植民地支配からのベトナム独立を指導した人物です。北ベトナムの初代国家主席を務め、「ベトナム建国の父」として今も国民的な尊敬を集めており、現在も紙幣にその肖像が刷られています。そのホー・チ・ミン主席の遺体が安置されている霊廟が、1975年に完成したホーチミン廟です。廟内では私語・撮影は一切禁止で、係員が常に目を光らせており、緊張感のある空間でした。背筋が自然に伸びます。
入場には厳しいドレスコードがあり、ミニスカート・ショートパンツ・ノースリーブ・サンダルはすべて入場禁止です。前日のツアーで一緒だった方がミニスカートで訪問して入れなかったと話していました。夏の旅行でも必ず膝が隠れる服装・靴で行くようにしてください。
また、7月の訪問では廟への入場自体ができませんでした。例年6〜8月はメンテナンス期間にあたり(正確な日程は年によって異なります)、建物にも入ることができません。また、通常時でも廟の敷地に入る前に空港レベルの手荷物検査があります。カメラは預ける必要があるので注意してください。加えて定休日は月曜・金曜なので、スケジュールを立てる際は事前に確認を。

| 住所 | Hùng Vương, Ba Đình, Hà Nội |
|---|---|
| 営業時間 | 7:30〜10:30(4〜10月)/8:00〜11:00(11〜3月)※土日祝は30分延長 |
| 定休日 | 月・金曜、毎年6月15日〜8月15日(メンテナンス休業) |
| 入場料 | 無料 |
ホーチミンの家(高床式住居)
廟エリアはひとつながりのルートになっており、廟を出ると庭園の中を歩きながら各スポットをめぐります。まず見えてくるのが1954年から1958年に使用していた小さな家(House 54)で、その奥に有名な高床式住居があります。池にはホーチミンが育てた大きな鯉が泳いでおり、ジャスミンの木も当時のまま残っています。
高床式住居は1958年から1969年まで使用された2階建ての建物です。1階は壁がなく風通しのよい造りで、来客対応や会議に使われていました。2階には書斎と寝室があり、愛読書や時計がそのまま残されているのを外から見ることができます。さらに進むと、ホーチミンが使用した車のガレージもあります。設計にあたってホーチミン自身が「質の高い材料は使わず、一人が暮らすのに十分な広さにするように」と指示したと伝えられており、質素さは共産主義の理念に沿ったものでもあり、同時に彼個人の信念でもありました。国家元首でありながらこれほど飾り気のない暮らしを選んだ人物がいたという事実が、今もこの建物に静かに残っています。





ホーチミン博物館

ホー・チ・ミンの生涯と独立運動の歴史を展示で知ることができます。フランスへの抵抗、インドシナ戦争、ベトナム戦争——一人の人物の生涯に、20世紀のアジアの重要な歴史が凝縮されていました。
展示の中で印象的だったのが、日本との関係についての記述です。第二次世界大戦中の1940年、日本軍はフランス領インドシナに進駐し(仏印進駐)、アジアへの軍事展開の拠点として利用しました。この日本の進駐がフランスの統治力を弱め、ホーチミン率いるベトミン(ベトナム独立同盟)がレジスタンス活動を拡大する契機となりました。1945年8月の日本敗戦直後、ホーチミンはすばやく権力の空白を突いて独立を宣言しています。日本の行動が、意図せずベトナム独立の流れを加速させたという側面がありました。
もうひとつ展示で目を引いたのがディエンビエンフーの戦いです。1954年3月〜5月、ベトナム北西部のディエンビエンフーで、ホーチミンの盟友・ヴォー・グエン・ザップ将軍率いるベトミン軍がフランス軍の要塞陣地を包囲・陥落させた戦いです。近代的装備を持つフランス正規軍が植民地の独立勢力に完敗した衝撃は世界に広まり、この敗北をきっかけにジュネーブ協定が結ばれてフランスはインドシナから撤退しました。「植民地勢力が独立運動に敗北した歴史的転換点」として世界史でも必ず登場する戦いで、博物館の展示でその経緯を改めて確認できました。




| 住所 | 19 P. Ngọc Hà, Đội Cấn, Ba Đình, Hà Nội |
|---|---|
| 営業時間 | 8:00〜12:00 / 14:00〜16:30(月・金定休) |
| 入場料 | 40,000VND |
一柱寺
正式名称は延祐寺(ディエンフー寺)で、1049年にリー朝のリー・タイ・トン皇帝が建立した木造仏堂です。ベトナムの仏教は日本と同じ大乗仏教で、御堂の中には八本手の観音菩薩像が安置されています。建立の背景には、こんな伝説があります。跡継ぎを切望していた皇帝が、蓮の花の上に座った観音菩薩に子を授けてもらう夢を見たところ、その後まもなく本当に男児が生まれました。感謝の証として、夢の光景をそのまま形にした寺院を建てたのがこの一柱寺です。池の中心から一本の石柱が立ち、その上に小さな御堂が乗る構造は、水面に咲く蓮の花を模しています。1954年の第一次インドシナ戦争終結時にフランス軍が撤退する際に爆破されましたが、その後に現在の姿に復元され、国家歴史文化遺跡にも指定されています。


朝食はバインミー25——フランスパンがベトナムに根づくまで

ホーチミン廟エリアをひととおり回ったあと、バインミー25(Bánh Mì 25)で朝食をとりました。ハノイ旧市街にある有名店で、朝から地元の人と観光客が列を作っています。
バインミーはフランスのバゲットにベトナムの具材を挟んだサンドイッチです。19世紀後半にフランスがベトナムを植民地化した際、食のパン文化が持ち込まれました。ただし、フランス本国のバゲットをそのまま輸入したわけではありません。貧しかったベトナム人が少量の小麦でも作れるよう、ベーキングパウダーを増やして軽くサクサクした食感にアレンジし、中身も現地の食材でカスタマイズしていきました。植民地支配という苦しい歴史の中から生まれた、ベトナム人の逞しい適応力の産物です。
一口かじると外はパリッと、中はしっとり。パテとハーブの香りが広がって、思わず2本目を頼みたくなりました。

| 住所 | 25 Hàng Cá, Hoàn Kiếm, Hà Nội |
|---|---|
| 営業時間 | 7:00〜21:00(日曜は〜19:00) |
| 電話 | +84 977 66 88 95 |
タンロン城——王朝と戦争が重なる世界遺産
次に向かったのがタンロン王城遺跡(タンロン城)。2010年にユネスコの世界文化遺産に登録された遺跡で、11世紀に李朝が「タンロン(昇龍)」という都を建設したのが始まりです。その後、陳朝、黎朝と王朝が入れ替わっても都はここに置かれ、19世紀にフエへ遷都されるまで、800年以上にわたって歴代王朝の政治の中枢であり続けました。
この時代のベトナムは、日本と同じく漢字文化圏に属していました。公文書や学問には漢字が使われ、エリート層は漢文で読み書きをしていました。そこから生まれたのが、先述のチュノム(字喃)という独自文字です。漢字の形を借りてベトナム語の音を表すこの文字は、日本が漢字から「ひらがな・カタカナ」を生み出したのと発想が重なります。どちらも「漢字という外来の文字を自国語に合わせて作り変えた」文字体系です。
しかしその後、両国の歩みは大きく分かれます。ベトナムはフランスの植民地となり、フランス人宣教師が整備したラテン文字表記(クオックグー)が普及したことで、チュノムは使われなくなりました。現代ベトナム語がアルファベット表記なのはその名残です。一方、日本では明治時代に「漢字廃止・ローマ字採用」の議論が本格的に起きましたが、結局かな文字と漢字の併用が維持されました。その結果として、日本は今も漢字・ひらがな・カタカナを組み合わせた、世界でほぼ類を見ない表記体系を日常的に使い続けています。ベトナムの歴史を知ると、日本語が今の形のまま残ったことは、実はかなり稀なことだったと感じます。

遺跡内にはキンティエン宮殿の基壇が残っており、かつての宮殿の規模がうかがえます。さらに注目したのがD67バンカー(地下指揮所)です。ベトナム戦争中、アメリカ軍の北爆が激化する中で軍の最高司令部が使用した地下施設で、当時の作戦室がそのまま保存されています。地上では11世紀の王宮の石段が残り、地下には20世紀の戦争指揮室がある——1000年以上の歴史が文字通り積み重なっている場所でした。



| 住所 | 19C Hoàng Diệu, Ba Đình, Hà Nội |
|---|---|
| 営業時間 | 8:00〜17:00 |
| 定休日 | 月曜 |
| 入場料 | 10万ドン程度(変動あり、訪問前に要確認) |
ブンチャーフォンリエン——オバマ大統領も食べた庶民の昼食
昼食はブンチャーフォンリエン(Bún Chả Hương Liên)。2016年5月23日、当時のオバマ米大統領がアメリカ人シェフのアンソニー・ボーデインとともに訪れ、ハノイの庶民料理を食べた様子がメディアで世界に広まったことで有名になった店です。
ブンチャーは豚肉のつみれと焼き肉を甘酸っぱいたれに浸しながら、米の麺と一緒に食べるハノイの郷土料理です。かつてベトナム戦争で激しく戦い合ったアメリカとベトナムは、1995年に国交を正常化しました。そのアメリカの大統領が訪越し、ハノイの普通の食堂で庶民の料理をすすった——この場面は両国の関係がいかに変わったかを如実に示しています。店内には当時の写真と、オバマ大統領が使った丸椅子が飾られていました。「オバマコンボ」として同じメニューを注文できます。炭の香りがした豚肉と甘めのたれが絡み合って、食欲がとまらない味でした。



| 住所 | 24 Lê Văn Hưu, Hai Bà Trưng, Hà Nội |
|---|---|
| 営業時間 | 8:00〜20:00 |
| 電話 | +84 24 3943 4106 |
ロンビエン橋——フランス製の橋が負った傷跡
午後はグエン・タイ・ホック通りを通りながら旧市街を歩き、ロンビエン橋へ向かいました。ロンビエン橋は紅河(ホン川)にかかる全長約1700mの鉄橋で、フランスのダイデ&ピル(Dayde et Pille)社によって建設され、1902年に完成しました。「エッフェル塔を設計したエッフェルが手がけた」という話が広まっていますが、橋の製造銘板の調査によって現在は否定されています。
橋が建設された主な目的は、ハノイとベトナム北部最大の港湾都市・ハイフォン(Hải Phòng)を鉄道で直結することでした。フランスはインドシナから採取した米や石炭などの資源をハイフォン港から輸出するため、内陸部との大量輸送ルートを整備する必要があったのです。ロンビエン橋はその植民地経済を支える大動脈として建設されました。
橋の上に出た瞬間、「怖い」と思いました。橋は中央に線路が走り、バイク・自転車レーンと歩行者通路が設けられています。歩行者が歩く部分はコンクリートの板を渡しただけの簡素な造りで、幅も狭く対向の人とすれ違う際には体を横にしてよけなければならないほどです。欄干の隙間からも川面が真下に見えます。足元の心もとなさとバイクが間近を抜けていく緊張感のなか、橋の中央部あたりで構造が変わっているのに気づきました。これはベトナム戦争中にアメリカ軍の爆撃で何度も破壊され、そのたびに応急修復を繰り返してきた痕跡です。フランスが建て、爆撃で傷つき、修復されながら今も現役で使われている——怖さの正体は、その歴史の重みでした。






橋のたもとにはドンスアン市場があります。ハノイ最大の屋内市場で、食材・日用品・衣類が所狭しと並ぶ生活感のある空間です。観光地的な整備はされておらず、地元の人たちが普段買い物に来る場所というのがそのまま伝わってきます。
玉山祠・エッグコーヒー・タンロン水上人形劇
玉山祠




ホアンキエム湖の小島に建てられた祠で、朱塗りのテフック橋を渡ってアクセスします。湖の名前「ホアンキエム(還剣)」は、15世紀に中国・明の支配を打ち破ったレ・ロイ王の伝説に由来します。王が湖の霊亀から授かった剣で独立を果たし、その後剣を湖に返したという話です。ベトナムの人々がいかに長く、外からの支配と戦い続けてきたかが伝わる伝説でした。
創建は13世紀で、現在の建物は1865年に再建されたものです。宗派としては儒教・道教・民間信仰が混ざり合った場所で、特定のひとつの宗派には当てはまりません。文学と教育の神「文昌帝君」、武の神として知られる「関羽(関聖帝君)」、そしてモンゴルの侵略を三度退けたベトナムの英雄「チャン・フン・ダオ」が合わせて祀られています。文武医の神々が並ぶ構成は、儒教的な教養と道教的な信仰、ベトナム独自の英雄崇拝が融合した、この国の宗教観をよく表しています。また、祠の中には1968年にホアンキエム湖で捕獲された体長約2m・体重250kgの巨大な亀の剥製が展示されており、伝説の霊亀の実在を思わせる迫力がありました。

| 住所 | Đinh Tiên Hoàng, Hoàn Kiếm, Hà Nội(ホアンキエム湖畔) |
|---|---|
| 営業時間 | 7:00〜18:00(土日は〜21:00) |
| 入場料 | 3万ドン程度(変動あり、訪問前に要確認) |
カフェ フォー コー
近くのカフェ フォー コー(Cafe Phố Cổ)で休憩しました。建物の上階から湖を眺めながらいただいた冷たいエッグコーヒーは、前夜とはまた違う味わいで、暑さで疲れた体に心地よく染みました。



| 住所 | 11 Hàng Gai, Hoàn Kiếm, Hà Nội |
|---|---|
| 営業時間 | 8:00〜23:00 |
| 電話 | +84 24 3928 8153 |
タンロン水上人形劇
夜はタンロン水上人形劇(Nhà hát Múa rối Thăng Long)を観に行きました。チケットはKKdayで事前予約しました。人気公演のため事前予約がおすすめです。
水上人形劇の起源は11世紀の紅河(ホン川)デルタの農村にあります。洪水で田畑が水没する季節に、村人が腰まで水に浸かりながら人形を操ったのが始まりとされています。農業・漁業・恋愛といった日常をテーマに、収穫祭や雨乞いの祭事の場で演じられていましたが、やがて宮廷の娯楽としても取り入れられ、洗練された芸能へと発展していきました。紅河デルタという水の多い土地ならではの環境から生まれた、ベトナム固有の伝統芸能です。
池の中の舞台で、水面下の人形師が竹竿や糸で操る人形が民話の場面を次々と演じます。生演奏の伴奏があり、日本語の音声ガイドを借りることもできるため、ベトナム語がわからなくても内容を理解しながら楽しめます。



| 住所 | 57B Đinh Tiên Hoàng, Hoàn Kiếm, Hà Nội |
|---|---|
| 公演時間 | 16:10 / 17:20 / 18:30(金〜日は20:00も開催) |
| 公演時間(分) | 約50分 |
| 料金 | VIPシート 20万ドン/ノーマル 15万ドン/ベーシック 10万ドン |
| 備考 | 人気公演のため事前予約推奨 |
クワンアンゴンで夕食
夕食はクワンアンゴン(Quán Ăn Ngon)。ハノイの伝統的な料理をまとめて楽しめるレストランで、屋外席でのベトナム料理は3日間の旅の締めくくりにちょうどよい雰囲気でした。



| 住所 | 18 Phan Bội Châu, Hoàn Kiếm, Hà Nội |
|---|---|
| 営業時間 | 6:30〜22:30 |
| 電話 | +84 24 3942 8162 |
ノイバイ空港へ・帰国
食後に空港へ向かいベトジェット航空に搭乗。帰りの便も時間変更の通知がありました。ベトジェット航空を利用する際は、行き・帰りともに出発時刻が変わる可能性があるため、航空会社からの連絡はこまめに確認しておくことをおすすめします。翌朝、無事に関空へ戻りました。


まとめ——ハノイで見えてきたベトナムの歴史と現在
3日間の旅を通じて各スポットを訪れると、ベトナムが歩んできた歴史の流れが自然と頭に入ってきます。観光の記憶の整理も兼ねて、ざっとまとめておきます。
王朝時代:タンロン(現ハノイ)は11世紀から約800年にわたって歴代王朝の都でした。タンロン城にその遺構が残り、ホアンキエム湖の「還剣伝説」は中国・明の支配を打ち破ったレ・ロイ王の物語です。地名の「龍(ロン)」にも漢字文化圏の影響が色濃く残っています。
フランス植民地時代(19世紀後半〜1954年):ロンビエン橋の建設(1902年)、バインミーの誕生、ハノイ駅の開業など、フランス文化がベトナムに根を下ろした時代です。インドシナ戦争(1945〜1954年)でホー・チ・ミン率いるベトミン軍がフランスを破り独立を達成しました。
ベトナム戦争(1955〜1975年):南北ベトナムが分断されアメリカが介入。ソ連・中国が北ベトナムを支援しました。ハロン湾のティートップ島(ソ連宇宙飛行士チトフの名)、タンロン城のD67地下指揮所、ロンビエン橋の爆撃痕、ハノイ駅の爆撃と再建がその時代を今に伝えています。
中越戦争(1979年)とドイモイ政策(1986年〜):ベトナム戦争後に中国との関係が悪化し武力衝突。ソ連との関係を深め、ソ連崩壊後は市場経済を取り入れるドイモイ政策へ転換しました。
現在:アメリカとは1995年に国交正常化(ブンチャーフォンリエンへのオバマ訪問はその象徴)。日本はODA・投資・技術支援で深く関わり、ユニクロなど日系企業がハノイ市内に多数出店しています。南北高速鉄道には日本の技術支援が期待されており、今後さらに関係が深まる見通しです。中国とは南シナ海の領有権問題で今も対立が続いており、ベトナムにとって日本は地政学的にも重要なパートナーです。
フランスが建てた橋、ソ連の宇宙飛行士の名を持つ島、アメリカ大統領が食べた食堂、1000年の王朝の地下に設けられた戦争の指揮室——ハノイはそれぞれの時代の歴史が層のように重なった街です。訪れる前に少しだけこの流れを頭に入れておくと、同じ景色がまったく違って見えてきます。

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